おいしいコーヒーを淹れる 4

 免停の始まりは新車の納車と重なった。一か月間、大学とバイトをチェリーX1Rというツインキャブレターの吹きあがりのいいエンジンを搭載していた車で移動していたので生活スタイルが大きく変わった。家庭教師は子どもの進学がかかっているので最優先。免停で行けませんでは許されない。喫茶店のバイトの時間を減らすことで移動時間の増えた分を解消していた。家庭教師には電車とバスと徒歩で移動した。これほど不便な毎日には閉口したがそれも私の運転の問題にあることを改めて知ることとなる。

 また運転できるようになり新たにバイトすることになった喫茶店がにおの浜にあったメッシーナ。ロギンス&メッシーナのメッシーナである。ビルの一階にある店舗でコーヒーとビールと音楽とハンバーグライスが自慢の店だった。オーナーのHさんは、かつてJILLで働いていて独立した人だった。この店には大津のおしゃれな若者が集まっていた。ランチタイムは近くのビルに拠点があるサラーリーマンが多く来店していた。バイトしてしばらくすると鍵を渡され朝10時の開店を黄色いワーゲンタイプ4に乗っていたもう一人の先輩と任された。朝開店の準備を整えランチタイムを終わると大学に行き家庭教師を終えて、またメッシーナに入り、閉店までの時間を過ごす生活になった。

 朝の段取りの中で大きなステンレスポットにいっぱいのコーヒーをネルドリップで淹れることを任されていた。30杯ほどをいっきにネルドリップで淹れて、一口味わうとき、これぞドリップコーヒーの旨さを味わえる至福のひと時だった。ブレンドコーヒーのオーダーが入ると大きなポットから赤いホーローのミニポットに移しガスで温めて提供した。考えてみれば10時の開店時に淹れた香り高いコーヒーは時間とともにただ茶色い液体に変わっていたように思う。

 貸し切りでパーティーをとオーダーが入るとアルコールやソフトドリンクに加えて、オードブルを作ってサービスした。当時、瀬田大江にしかなかったケンタッキーフライドチキンに買い出しにも行った。バーレルとコールスロー。こんなうまいものがあるんだと知ると同時にお客さんはKFCのデリバリーだとは知らなかったと思われる。「もちはもちや」と考えるオーナーは合理的だった。

 お店を閉めるとオーナーとともに浜大津の柴屋町に遅いご飯を食べに行った。老夫婦が営むねぼけでナマコ酢やこのわたの旨さを知った。お客さんのなかには私の通う大学の名物教授がよく来ていた。挨拶もしなかったので自分の大学の学生が横にいるとは知る由もない。言いたい放題の酔っぱらいの話は「ええっそんなこと言うていいの」とはらはら無責任に思っていた。

 無口な親方はいつも苦虫をつぶしていたし、おかみさんは飛び切り愛想のいいしゃがれ声でパーマがよくかかったおばちゃんで、看板娘のKっちゃんはお客のアイドルだった。Hさんと付き合っていることは親方とおかみさんはしらなかった。〆に梅茶漬けをいただき、下宿に戻る毎日、朝起きるとまたメッシーナの開店準備から始まるというくらしは、4回生の教育実習が来るまで続くことになる。午前中の授業を履修していなかったり、出席をとらなかったりしていたのでできた暮らしではある。 つづく

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