教育実習の一か月はバイトができる状況ではなくなる。辛うじて家庭教師だけは時間を遅らせたり日曜日に振り替えたりして続けた。教師という仕事を選んでほかの仕事をバイト以外でしてこなかったから、教壇に立つ覚悟とともに全ての時間を教師業に専念しないとやっていけない。時給換算したらやってられない仕事も聖職といういかにも秀麗なイメージで自分を納得させてきたように思う。家族にも多くの犠牲を強いてきた。今、職業人としてやり切ったが、社会人としてというより家庭人としてこれでもかと妻や子どもに犠牲を強いてきたと後悔する。家族は身内で私軸ですべてを回すというあまりにも利己的な思い上がりである。
就職して つまり教壇に4月8日から立ち熱血先生を志向し24時間自分のすべてをクラスの子どものためにというおこがましい身勝手なプライドに占められた厚顔を「それでよし」とうがった考え方で突き進んできた。そんな私なのに勤務して2年が経ったとき結婚し妻との暮らしを始める。
借りた新居の周りはすべて畑。そこで毎朝妻の淹れてくれたミルで挽いた豆のドリップコーヒーにはクレマトップってフレッシュ(今なら絶対入れない)をたっぷり入れて飲んでいた。あのコーヒーミルはどこにいったのだろう。二年間の畑の中の暮らしはブエノスアイレスへの赴任とともに終わる。そう、当時ディエゴマラドーナが活躍するアルゼンチンに向かうことになる。 つづく

コメント